被災地の扱いがどんどん小さくなっていく

埼玉県所沢市自治連合会 講演会:「3.11災害を経験して」南相馬市長 桜井 勝延氏

【メモ】30分程、所用で遅刻(その間、南相馬市のこれまで及び現状をスライドで紹介していた模様。また暗所で撮影できるカメラを携帯していなかったため、スライドの写真撮れず)なお、録音なしの個人メモ(同時タイピング)から記録を起こしており、市長の表現を正確に記したものではないこと、ご了承いただきたい。

南相馬市の災害被害や現状

例として以下の様な実情が紹介されていた

  • 全体として企業数としては70%程度復活しているが、小高区の商店は29%しか復帰していない。売上高としては60%程度の戻り率にとどまっている。
  • 市民の南相馬市への戻り率や、市外への避難率を紹介(4000名程度はすでに市外に住民票を移している)
  • 南相馬市で41㎢(杉並区の1.5倍)が破壊されている。見渡す限り破壊されていといったところ。
  • 発災当初、M9.0で7-8分間続く揺れを経験。津波警報(避難勧告)を出したが、チリ地震で同じ津波警報を出した際に30名しか避難しなかった様な実体下、今回も多くの市民は、津波を見てから逃げ、逃げ遅れた人は亡くなっている。3月11日当日は公立中学校の卒業式であったが、午前中の卒業式を終わって午後自宅に戻り、津波被害(死亡)にあった子どももいる
  • 南相馬市職員:5名見回りで殉職、消防団:9名殉職。

原発事故発生時

  • 警察無線で「原発が爆発した」と最初の一報。
  • 20km圏内には南相馬市民1万4千人が住んでいるにもかかわらず、避難指示対象から南相馬市が外されており、連絡がなかった。20km圏内の市町村の中で3番目に人口が多い南相馬市に、なぜ連絡が来ず、またこちらから努力しても連絡つかなかったのか、未だ原因は究明されていない
  • その一方で、大熊町には、3月11日から避難準備の連絡が行っていたし、大熊、双葉、富岡は12日の段階で既に役場ごと避難している。
  • 浪江町は、TEPCOと協定を結んでいるにも関わらず、原発爆発の連絡を受けておらず、馬場町長の判断で役所が避難準備している。同様に南相馬市も市長判断で役所避難した。いち早く逃げられた住民は自分の車で逃げている(が、後にガスがなく避難が極めて困難な状況に)。
  • 情報が来ない南相馬では、双葉(?)防災に確認した結果、原発爆発の様な事実はないといわれ、南相馬市民に対する防災無線で、「屋内に留まってください」というのは誤報でしたと呼びかけなければならなかった。
  • 市が爆発が本当であることを確認できたのは、防災関係からの連絡でなく、何とTV画面からであった。
  • 福一から30km離れたところまで屋外で爆発音を聞いている。爆発時、バスがジャンプしたと運転手が言っている。それくらいの衝撃を伴って建屋が破壊され、放射能がまき散らされた。

避難時の混乱、人・物の流れが停止

  • ご存知のように原発防災計画は、原発から10km圏内のみの地域を対象にしている。事故の前に、原子力防災(避難)計画を作らせてほしいと南相馬市が申し出たにもかかわらず、国は「住民がよからぬ不安をもつ」という理由で策定を拒否。
  • 7万人もいた市民が、一時、1万人を割り込むほどの避難を余儀なくされた。
  • 3月14日:市民避難の判断を県に仰いだが、「協議します」との回答のみで最終判断はせず。また、避難の承認もしない。3月15日NHK News Watch 9からの電話取材、3月16日NHKおはよう日本に出させていただいた。その報道を受けて新潟県知事が「南相馬市民を全員、新潟県で受け入れる準備がある」と桜井市長に連絡。3月17日になって、ようやく国と連絡がつく。結局、県も国も判断をすることなく、市の単独判断で、原発20Kmすれすれにある避難所の住民を、新潟、相馬、飯舘、杉並、長野、千葉、群馬等々に移動させることになった。
  • 病院の医療者が逃げて、取り残された入院患者もいる。
  • 30kmどころか50km圏内にもトラックの運転手は入って来ない。支援物資、ガソリンも全部自分たちで取りに行かなければいけなかった。
  • 原発から10km外は避難計画を作らなくていいとってきた国が、いざ事故になって何ができたのかというと、市民を取り残しただけであった。
  • 原発事故が起きると、銀行は締まる、マスコミはいない、モノは入ってこない。こんな状況になってしまう。死の街といって辞職させられた政治家もいたが、本当に死の街になった時期があった。
  • 1年経って病院職員、幹部職員といった市の職員が辞めていく。毎日市民に叱責されて心の病を患っている人は多い(120名の市職員が、早期退職も含めて退職を余儀なくされている)メモ:各種報道では150名となっている

国家として優先すべきことは何か

国道6号線、常磐道(JR)も全く再開されていない。我々が東京に来る時に通れるのは国道12号線という山道一本しか残されていない。それなのに何故、八ッ場ダム再開が先なのか。八ッ場ダム建設の事情は、そんなに逼迫していることなのか(被災地域の交通網再生に比して)。被災地では農業ができない状態なのに、なぜTPPの議論を急がなくてはならないのか。

報道の使命はどこに

農家に30人を超える報道者が押し掛けた。攻撃的な取材、農家を特定して謝罪させるような取材をする。自分たちは肝心なときは逃げて行って(マスコミは原発事故発生後、50km圏内での取材を「自主規制」。長期間にわたり南相馬にはマスコミが全くいなかった。受けたのはすべて電話取材)、戻ってきたら線量計をつけて、農家を、行政をいじめる。報道者としての使命感はどこへ行ったのか。私はこのマスコミ取材の姿を後ろからカメラで撮って世界に流してやりたかった。

除染・放射能被害

  • 2011年8月、9月は南相馬市が自ら借金をして除染している。このとき国には、除染の基本方針さえなかった【筆者メモ:政府基本方針:2011年10月10日、除染工程表:2012年1月26日】。学校であれば表土を剝ぎ、地中に埋め返すといった対応を取っている。2012年2月27日から、30km圏内(ただし20km警戒区域外)の全ての小中学校が再開する。現在でも6000人いた小・中学生の内、3000人しか戻れていない。親が、避難先で自分の子どもが「南相馬市の子どもだ、と言われ差別された」と市長に直接電話してきたことがあった
  • 南相馬市ではホールボディカウンターを導入し、子どもの被ばく線量をモニタリングしている。子どもは代謝が早いので、3か月も経てばセシウムは検出されない。ただ、初期は出ていた
  • 賠償金でも30km圏外で区切り、金銭的な差別をすることで問題が生じている。
  • 農家は自分たちの資金で検査している。農水省は20km圏内の家畜は屠殺処分と指示した。自分の家畜を作るために遺伝子を掛け合わせる等、何年かかっていると思っているのか。酪農家や畜産農家は、出荷はできないと分かっていても、警戒区域指定されるまでは毎日域内に入って餌をやっていた。警戒区域指定されることで餓死、屠殺を余儀なくされた【筆者の関連投稿:2011.5.20 実際の被曝、現地線量と無関係に断たれる酪農家生命と家畜の命】。
  • こんなことが現場で起きているにもかかわらず、霞が関の官僚は現場に入りたがらない。(所轄である)農水省、厚生労働省の職員は現場に入らない。何が起こっているかみようとしない。私が許可するので入ってくださいというと、局長、審議官に対して「入っていいですか」と訊いている。許可権限を持っているのは私であり、市長さえいいといえば入れるのに(正確には度重なる市から政府への要望によって、発災2ヶ月目くらいから立ち入りが認められるようになった。その頃既に、家畜の餓死が相次いでいた)。
  • 電力供給地の人々がこれだけ犠牲になっているのに、その恩恵を受ける人達が、何も知らないで暮らしていいのか。そんなことがこの先進国で起こっていいのか。
  • TEPCOの西沢社長が、TEPCOの責任で除染すると言っておきながら実際に何かしているのか。何もしていない。TEPCO役員が南相馬市に来た時には、市長応接室で対応したが、一度、南相馬市の行政区長たちと署名をTEPCOにもって行った時には、TEPCOの1階ロビーで対応させられるという屈辱的な体験であった。これだけのことを起こしておいて、信じられない対応である(なお、TEPCOが南相馬市に初めて連絡をしてきたのは3月22日であった)。
  • TEPCOには人の心(家族がばらばらになっている、死にたいと思っている)の立て直しが一番重要だと言っている

被災地の扱いがどんどん小さくなっていく

  • まだまだ原発事故から復旧していなのに、野田政権が原発事故収束宣言をした。
  • 南相馬では病院もまだ立て直っていない。
  • 福島県は昨年12月に安全宣言を出したが、その後、途端に農作物から放射性物質が検出され、米農家などが、販売契約を破棄されている。
  • 南相馬市4万3千人が戻ってきている。東京マラソンに出場することも被災地がどんどん小さくなっていく中での、一つの小さな抵抗である。

会場3名程の質疑を受けた後、所沢市から南相馬市への義捐金が手渡された。

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20km圏内の酪農家と20km圏内で出会う

20km圏内の酪農家は、交替で圏内に入り牛の世話をしている(現在ではそれが許されるようになっている)。この日は何かの作業で5名の酪農家が重機を動かしていた。H氏が空になった牛舎を見せてくださった。

多くの柱が細くなっているのが分かるだろうか。これは飢えた乳牛が柱を食べて生きようとした跡である。H氏「虐待で亡くなった子どもなんか解剖すると、胃からおむつとかおもちゃとか出てくるんだってな。飢えると何でも口に入れるようになるんだ、可哀そうにな。この柱みたら涙出てくる。おら、ここが再開したらまっ先に碑を建てようと思っている。「怨念」って書くべかな」と笑顔まじりの悲しいお顔でお話されていた。乳牛は、名前が付けられ、複数年に渡って酪農家に世話をされる家畜である。酪農家は、牛に対して自分たちの生活を支えてくれているという「感謝の念」が根底にあるため、餓死させるなどという行為は、恩を仇で返す様な心持になるのかもしれない。そういえば、4月の後半、伯母の家に新潟へ避難している酪農家(20km圏内)から電話がかかってきたことがあった。「世話に入れなくてもいいから、ベコだけでも離してやれねべか」と。高齢者の震え泣きというのは聞いていてかなり辛いものだ。 家畜のことはかなり色々なところで書きつくされているが、自分が思い返すためにも、もう一度書いておきたいなと(そしてこれが長期戦だということも肝に銘じなければ)。もっとも、さらに悲惨だったのは、20km圏内では1ヶ月以上も生存者の捜索ができなかったことだ(津波被害のあった海側は風向により低線量だったにもかかわらず)。14日後に他県で生存者が見つかったニュースなど思い返す度、ご遺族はどんなことをすればこのトラウマに向き合えるのかと思ってしまう。

H氏の家では、一定の囲いの中で数十頭の牛が飼われていた(経緯は聞き忘れた)。H氏「あっこに子牛がいるべ、全乳保育だからまー、元気よ(笑)」べたな言い回しで恐縮だが、「新しい命はやっぱり希望」なんだなと。

◆リンクにある高邑氏のブログ

◆私も2011年の5月に書きました

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福島第一、第二原発における東日本大震災後のストレス対策(産業医報告)

シンポジウム II 「東日本大震災のストレスケア」 から

11月18日(金) 15:30~17:30 メインホール (3F 国際交流会議場)
座長 大野 裕 独立行政法人国立精神・神経医療研究センター、認知行動療法センター
座長 村上 正人 日本大学医学部附属板橋病院 心療内科

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福島第一、第二原発における東日本大震災後のストレス対策について

谷川 武 (愛媛大学大学院医学系研究科 公衆衛生・健康医学)

※氏は、東電第一第原発で10年間、第二原発で10年間、産業医として勤務されている。

私的感想:氏は、まずこの度の原発事故に対する謝罪を述べられたが、私個人としては氏が謝る必要はないと感じた。TEPCO関係者を十把一絡げにすることは勿論、TEPCO労働者は酷い扱いをされても我慢するのが当然といった、間違った制裁感情は乗り越えたい。氏が紹介した写真には、20歳を少し超えたくらいかと思われるような若い復旧作業員が写っており、何次下請けの社員か知らないが(現在、8次下請けまである)、こんな若さで、氏が列挙したような過酷な状況下に置かれているのかと思うと心が痛んだ。もっとも若いだけでなく、自らが被災者(所員の8割以上は、自宅、家族を失ったり、自宅が避難指示区域にあったりした被災者。家族を探すこともできなかった)である上に加害者として市民から非難され、高線量下で危険な労働に従事している労働者の心境たるやいかばかりかと思う。谷川先生の講演が聞けて本当に良かった。

産業医とはいえ、震災直後には訪問を受け入れてもらえるような状態でなく、4月16-19日現地入り。

当時、原発職員は、想像を絶するような過酷な労働状況。今でも月平均で300時間以上働いている人がかなりいる。自らが被災者であること、社員に殉職者がいること、外から攻撃(非難)されることなど、何重にもストレスがかかっている。

 

(左)滞在先の福島第二原発体育館(ここから第一原発へ移動して作業する)で医療従事者が原発所員から聞き取った記録

所員の4つのストレス: 危険な作業/被災者/肉親や友人の死/加害者

(写真)福島第二原発内の体育館。4月中旬。

米国人から「1か月も経っているのに、こんな状況というのは信じられない、アメリカなら大統領は首である」と言われた。またこの写真を見た外国人記者クラブからは「彼らはマイノリティか」と質問を受けた。3月に復旧作業員に支給された一日分の食料は、1.5Lとクラッカーだけ。水が足りず苦しんだと聞いている。

劣悪な衛生状態(4月中旬時点)

  • 職員は4勤2休のシフトの中でシャワーも使えず寝具は共有→皮膚疾患の発症、蔓延を危惧
  • 寝不足、慢性疲労状態で作業を継続→ヒューマンエラーによる事故のリスクを高める懸念

そこで以下を提案したが、当初は全て拒否された

  • シャワーの設置  - 屋外工事はできない
  • 二段ベッド     - 余震で倒れるからできない
  • 生野菜支給    - 内部被曝の問題で無理

そこでメディアに訴えると(各局、各新聞を制覇するほど取り上げられた)、改善された。やればできるのである。(生野菜に関しては長崎の自営業農家からの支援の下、谷川先生個人が調達して配給していたそうである)TEPCO協力企業は給料2割カットで、血圧計を打ち出す紙も買えない状況(TEPCOからお金が来ないから)。本社と第一線(所員)の温度差が凄い。なお、厚生労働省にTEPCO社員の健康管理を訴えても、「一民間企業ですし」と人ごとの様な感じで、これまで一切、国の公的支援はなされていない。災害支援者のPTSDを専門にしている防衛医大の重村氏が個人として支援をして下さるようになった。本当に心強く感謝している。たまたま個人の先生が入ってきてくれたものを国の支援の様にNHKが報道したので、憤りを感じている。

(下・写真)二段ベッドが設置された福島第二原発内の体育館 

 

福島原発 所員・作業員の食料・飲料水事情

3月    :復旧作業員に支給された一日分の食料は、水1.5Lとクラッカーだけ

 4月中旬

現在    

注)お弁当に野菜をつけて提供していると思われる。「がんばれ」のメッセージシールつき

 

 村上氏の講演にもあったように、被災者、災害支援者には安全・衣食住の確保が最重要である。しかし、以下のような大きな問題が未だにある。

  • TEPCOが作った所員用の仮設寮にトイレがなく、雨の日は傘を差して遠いトイレまで出かけなければならない

洗面も我慢している状態。水分も控えるため健康を害する(腎結石、脳卒中)危険性が増す。雨天の日や、冬の寒さに備えて宿舎からトイレまで屋根を付けることを提案したが、未だ状態は変わらない。お金がないから直せないというのが理由である。東北人の気質なのか「3月に比べたらありがたい環境なので我慢します」と。しかし、我慢していいことと悪いことがある。氏はこの件について、現場で怒りを表したという。

  • オフがオフになっていない

TEPCOには8次までの下請けがいるが、8畳に6-8人で、いわき市の温泉旅館で生活しているが職場より帰ってからのストレスが高いという人もいる。国はどうしても被曝量を気にするが(被曝量を気にしていわき市など遠いところに人を移動させ、コスト抑えなければならないTEPCOがこういった寿司詰め状態を作るのだろう)職場環境をどうするかということにもっと注力していかなければならない。

 

なお、村上氏から、TEPCOの社員でご自身も死別を体験している人に対するケアも重要であるとのコメントがあった。

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どんな死別でもご遺族は自分を責めている

シンポジウム II 「東日本大震災のストレスケア」 から
11月18日(金) 15:30~17:30 メインホール (3F 国際交流会議場)
座長 大野 裕 独立行政法人国立精神・神経医療研究センター、認知行動療法センター
座長 村上 正人 日本大学医学部附属板橋病院 心療内科

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●災害における喪失と悲嘆への全人的ケア

村上 典子 (神戸赤十字病院 心療内科) 

※氏は、阪神・淡路大震災、新潟中越地震、福知山線脱線事故、兵庫県佐用町水害、東日本大震災のこころのケアにかかわってこられた。日本DMORT研究会 事務局長

東日本大震災におけるグリーフケアのポイント

・遺族の個別性(その人なりの思い)を尊重する

遺族の「語り」を傾聴する

下手な声かけより、そっと寄り添う姿勢

抑圧した悲嘆には踏み込んでいかない

・遺族の心の傷は完全に癒れるわけではないことを理解する

「トラウマ」は、忘れたい・避けたいものであるのに対して、「悲嘆」は、故人への強い愛着故に、忘れたくない、忘れてはいけないからいつまでも悲しんでいたいという、相反する反応である。

強い悲嘆感情を身体症状がマスクしてしまう現象は、感情を抑えている人によく見られる(死別に直面するより、身体症状として現れてくれた方がまし)。こういう被災者に対しては、根底にあるのは悲嘆であると分かっていても、心のケアに踏み込むタイミングは難しく、身体症状(耳鳴り、難聴、胸の痛み、頭痛、めまい、吐き気、動悸、さまざまな体の痛みなど)の治療を通したケアから入る

東日本大震災発生直後に現地入り。普段の医療診療の中に、急性期の心のケアが絶対に必要な人がいたが時間が割けなかったのが悔しかった。心のケアは急性期に必要ないと言われる方もいるが、それは「心のケア」という看板をあげた診療は要らないということであって、必ず急性期に体を見ると心のケアが必要な人がいるのが実感。

どんな死別でもご遺族は自分を責めている。まず、被災者の安全の確立(安心できる人々)。これが確立されていない中で無理やり体験を聞き出して傷つけた経験がある励ましは傷つけることを肝に銘じる。今後は、アルコール依存*、孤独死、自殺の問題が大きくなっていく。

   
* 複雑化した悲嘆・その4: アルコール依存症
・不眠解消のために飲み始める・てっとりばやく「楽」になる→抗うつ剤や抗不安剤では「楽しい気分」にはならない。・簡単に手に入ってしまう・女性の場合、特にアルコールに耐性が低く要注意・自殺行為(本人が本当に死にたいと思っているわけではないのにもかかわらず)や周囲との摩擦(酔って暴言を吐き、その後の人間関係が悪くなる)など、二次的な問題を引き起こしやすい。
 

会場質問:  被災地にいない人間が間接的にできることはないか

村上氏:     忘れないこと。震災からまだ8ヶ月しか経っていないのに(被災者が)「もう周りが『復興、復興』と言っており、自分が悲しいということが言えない」と嘆いていたのを聞いてびっくりした。阪神・淡路でも15年経ってもまだまだ傷ついておられる方がたくさんいる」、との回答をしていた。

会場質問:  支援の場に出てこない方にどうやって支援(アプローチ)したらよいか

村上氏:     マスメディアをつかって情報を発信する。その場に出てこない人でも新聞やTVは見る。今後、何年も続いて、むしろこれから問題が大きくなってくることであるから。

参考:家族(遺族)支援マニュアル(東日本大震災版) 日本DMORT研究会編

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心のケアは暮らしのケアがあって初めて成り立つ

シンポジウム II 「東日本大震災のストレスケア」 から

11月18日(金) 15:30~17:30 メインホール (3F 国際交流会議場)
座長 大野 裕 独立行政法人国立精神・神経医療研究センター、認知行動療法センター
座長 村上 正人 日本大学医学部附属板橋病院 心療内科

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●地域作りを通したストレスケアのあり方

大野 裕 (独立行政法人国立精神・神経医療研究センター、認知行動療法センター)

 

※氏は、厚生労働科学研究費補助金こころの健康科学研究事業 「自殺対策のための戦略研究」 複合的自殺対策プログラムの自殺企図予防効果に関する地域介入研究班のリーダーである。

宮城県女川町は、この度の大震災で1割が死亡、7割が被害を受けた地域。「心のケア」は「暮らし(のケア)」があって、初めて成り立つ。同町には、自殺対策のための戦略研究を経験した鹿児島県の保健センターが入っている。自殺対策には地域作りが欠かせない。また国内の自殺者の内、3分の2くらいは医療にアクセスしながらも自殺していることから、地域と医療のネットワーク構築も重要である。

 

女川町を8つの地域に分け、それぞれに相談センター(心の相談とくらしの相談の双方)を設置。各地域の区長、民生委員、食生活改善推進委員に加えて、健康づくりリーダーとの連携の下、新たに配置した支援員が、①健康相談(心と体)②ハイリスク者への訪問活動③仮設集会場等でのお茶っ子会、レクリエーション等の集団活動④介護予防事業とのタイアップ⑤年二回全戸訪問⑥暮らしと健康の情報提供を実施。センターでの外来=待つ医療だけでなく、アウトリーチ医療=届く医療の実施が重要。相談センターの医療は、多種職のチーム制(看護師、カウンセラー等)。暮らしの相談人として社協に関わってもらう。地域の保健師さんのアイデアから、傾聴ボランティアの育成を開始。「こころのスキルアップ・トレーニング」プログラムとして、DVDを作成。色々な地域で使ってもらえるようにする予定である。また、情報共有を目的として、IT企業に協力してもらい、クラウドを設置ある地域、ある施設の情報は、どの関連施設からも閲覧できるようにしている。また、どれだけ継続して支援できるかということが重要。張り付かなくても、一月に一回などでも行ければ良い。地域で支えあう部分と、外から入っていった人間ができる部分(地域では話せない)の双方の役割がある。なお、こういった支援活動は息の長いスパンの活動になるため、遠い目標と近い目標の設定が重要である(女川町の場合、保健師が目標とターゲットスケジュールを作成)。

会場質問:  支援の場に出てこない方にどうやって支援(アプローチ)したらよいか。

大野氏:     出てこない方が自然に分かるように、お互いの情報を共有できるネットワークを構築できるかが鍵。

参考:地域における自殺対策プログラム 

複合的自殺対策プログラムの自殺企図予防効果に関する地域介入研究班
 
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2011年9月18日 コミュニティカウンセラー養成講座 Part 2

二日目の養成講座で印象的だったのは「成果がまだ水面に出ていない努力は心の眼を使わないと見られないが、成果は簡単に見られる」という言葉だった。「結果が伴わなければ意味がない」などと言われるように、世間には成果を求める眼が目につくが、成果主義の方がずっとPrimitiveなのだ。そこに深い洞察は必要ない。(災害対応の)コミュニティカウンセラーに限らず、人を育てる人(親、マネージャー)などは、「水面下の努力、少なくとも相手が何かしている」ということを見て留める=認めることができる必要がある。「認められている」と感じることは、『心の応急箱の中身』だというのだ。ここがこの講座のいいところだと思うのだが、だからといって水面下の努力の方だけをみて成果主義はやめましょうということではない。Part1でレポートした“ポジティブ/ネガティブ”と同様、「どちらも見られる」方が豊か、というわけだ。

ブログに纏めていて思ったのだが、「豊か」と書いている部分は「柔軟」ということと同義な気がする。

コミュニティカウンセラーの最も基本的な使命は、対象者の身心の安全を守護すること

「心の安全地帯」の性質(J. ボウルヴィ『母と子のアタッチメント~心の安全基地~』に拠る)

  1. 安全地帯から外の世界に出て行ける(冒険できるのは、そのベースに安全・安心がある場合)
  2. 戻ってきたときに喜んで迎えられると確信して帰還することができる
  3. 身体的にも心理的にも糧を得ることができる
  4. 疲労困憊している時には癒しが得られる
  5. 怖がっている時には安心が得られる
  6. 励ましや援助が必要な時にいつでも利用でき、それに対応する準備がされている

そして、ここが一番重要、と先生が強調されていたのが:

7. 明らかに必要な時しか、積極的に介入されることはない(必要でないときに励ましたり、お節介を焼いたりしない)

傾聴すると決めたなら

  1. 聴くには覚悟が必要
  2. 相手優先・相手ペースに任せること(「今、ボールはどっちのコートにあるのか=問いかけたら返ってくるのを待つ」)
  3. 沈黙を許容する、口をはさまない(相手がこちらの質問等を消化できていない時、言い換える程度はOK)
  4. 否定しない    例1)馬鹿なこと言うんじゃない -「自分の枠組みと相手の枠組みは違う」ことを理解する  例2)どうして? - 相手を責める「どうして」
  5. 自分の言いたいことは棚上げ
  6. 自分の疑問・興味・好奇心は「私」主語のメッセージで伝える

 

悲嘆のプロセス

Part1で紹介した「サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き」の他に、コミュニティカウンセラー発祥の地であるインドの「Disaster Psychosocial Response – Handbook for Community Counselor Trainers」の紹介があった。その中に「悲嘆のプロセス」という項があるが、以前読んだ、石崎朝世 監修「震災と心のケア 子供の心の傷がPTSDになる前に」にも共通の記載がある。以前Tweetした内容を転記したい。

大震災に直面した時の心の変遷: ショック期(感覚鈍磨、離人症的、フラッシュバック)→否認期→混乱期(攻撃的、怒り恨みの感情、悲嘆、抑鬱的、自殺企画、敵意、理不尽さとの葛藤)→解決への努力期(援助を求める、依存からの脱却)→受容期=自分の生き方を自分のものにする

コミュニティカウンセラーの倫理(大項目の抜粋のみ)

  1. 自らの能力を理解するように務め、これを超えることを対象者に行ってはならない           →  コミュニティカウンセラーは、心理療法はできないし、職業カウンセラーとしての条件を満たしているわけではない
  2. 守秘義務
  3. 自他の分別(Part1の記事参照)
  4. 対象者の尊厳を守る
  5. コミュニティカウンセラーの使命
  6. 倫理違反への対応
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2011年9月11日 コミュニティカウンセラー養成講座 Part1

最近、被災された方のお話を伺う場面も多い。そのときに、言ってはいけないこと、示してはいけない反応をしていないだろうか(相手は「今の言葉、傷つきました」とは言ってはくれない)、そこをちょっとでも知れればと思い、参加。残り半分は9/18。計16時間、2日間のプログラム。

プログラムはこちら by 田中 純先生

私が被災された方とお話をする場合、「私がカウンセラーで、貴方がクライアント」という関係は生じない。相手もそんなこと、思ってもいない。個人的には被災したかどうかに関係なく、日常その方とお会いしたときに、どういう反応/会話をするか、そこを変えないことが大事だと思う。援助される苦しみ、同情される苦しみにもっと敏感になるべきだと、自戒を込めて思う。

以下の記述は私の独自理解に基づくものなので、真意を捉えきれていない部分、間違っている部分はご容赦を。

「自分の領分」と「他者の領分」を区別する - 自分と他人とのRespectの前提

DVを受けていると予想される女性との会話で「そんな男、別れちゃいなさいよ」

先生:「コミュニティカウンセラーはこんなことは絶対に言いません」。 「そんな男」と別れ、別れた先々に起きる出来事の一切を受けるのは、助言者でなく、助言された女性。こういう助言は、まさに「他人の領分」に踏み込んで「相手を自分の思う通りにしてやろう」という「魂胆」の表れ。相手の行動を操作することはできない。相手の反応/行為に対する期待が裏切られたと感じるとき e.g.「とっくに起きていたなら、ごみぐらい出してくれてもいいじゃない」「(ボランティア)こんなに一生懸命しているのに、(被災者が)喜んでくれないなんておかしい」― これもまさに、「自分の領分(選択)」と「他人の領分(選択)」の分別(ふんべつ)がついていない→ ストレスの原因

ラインホルト・ニーバーの「祈り」:  神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ/変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ/そして、変えることのできるものと、変えることのできないものを識別する知恵を与えたまえ

「人は、おのずから癒えてく」

治療的な過程が起こる(癒える)ための条件。

1. 赤心:カウンセラーに、相手を思い通りにしてやろうという心、すなわち魂胆がない状態

2. 肯定的:相手がカウンセラーに対して向ける態度とは無関係に、(カウンセラーは)常に相手に対して肯定的な関心を持つ

3. 共感:相手の人生を全部背負ったときに、その人にはどの様に見えるのかを常に意識する。また、相手にはカウンセラーがどう見えているか意識する。

4. おのずから: 上記の態度をして、相手が本当の自分になれるおおらかな雰囲気、相手が、自分を‐他人ばかりでなく自分でも‐ 受け入れることができる環境を提供すること。これ以外の条件は必要ないこのとき、治療的な過程は結果として生じる。すなわち、相手がおのずから癒える

「どうして?」でなく「知りたいな」

被災された方に対して「(貴方の気持ち)分かります」と言ってはいけないというのは既知、というより感覚的に言えなかったが(被災者には自分の悲しみが「分かってたまるか」という思いがあるという)、「どうして?」という問いも、多くの場合批判的なニュアンスを含み、カウンセリングでは、誤解を恐れず言うなら「禁句」といっても過言ではない、というのは発見だった。その代わり、「私、その理由が知りたいなぁ」と自身の感情として話をすると。「貴方が“どうして”か、答えなさい」でなくて「私が知りたい」、と。

もう半分しか残っていない/後、半分残っている

これ、よくある例。「物事のプラスの面を見ましょう」ってやつです。世の中にはポジティブな思考、ポジティブな言葉っていう「ポジティブのススメ」が多い。しかし、田中先生曰く、「どちらも見られるようにする」。確かにそれが本当の豊かな感性かもしれない。自分に対してはポジティブでいるように頑張ればいいかもしれないが、他者に対しては、プラスにもマイナスにもどちらにも柔軟であることが、様々な視点を理解することへの鍵なのだろう。

具体的にどういった言葉を言ってはいけないかは、もちろん相手の受け止め方次第だから、絶対はないと思う。ただ、「サイコロジカル・ファーストエイド実施の手引き」*に具体例の提示があったので引用したい。

*アメリカ国立PTSDセンターとアメリカ国立子どもトラウマティックストレス・ネットワーク(NCTSN)によって作成された。上二組織のメンバー、および、災害支援の現場での活動やコーディネートに携わっている人々が、この手引きの作成に携わった。

災害被害者に言ってはいけないこと Don’t say

・お気持ちはわかります。

・きっと、これが最善だったのです。

・彼は楽になったんですよ。

・これが彼女の寿命だったのでしょう。

・少なくとも、彼には苦しむ時間もなかったでしょう。

・何か他のことについて話しましょう。

・がんばってこれを乗り越えないといけませんよ。

・あなたには、これに対処する力があります。

・彼が苦しまずに逝ったことを、喜ばなくては。

・我々は生き延びたことによって、もっとたくましくなるでしょう。 (That which doesn’t kill us makes us stronger. 哲学者ニーチェの言葉)

・そのうち楽になりますよ。

・できるだけのことはやったのです。

・悲しまなくてはいけません。

・リラックスしなくてはいけません。

・あなたが生きていてよかった。

・他には誰も死ななくてよかった。

・もっとひどいことだって、起こったかもしれませんよ。あなたにはまだ、きょうだいもお母さんもいます。

・この世に起こるすべてのことは、より高い次元の存在が計画した、最善の結果なのです。

・耐えられないようなことは、起こらないものです。

・(子どもに対して)これから、あなたが一家を背負っていくんですよ。

・いつの日か、あなたは答えをみつけるでしょう。

深い悲しみの底にいる人自身がこのようなことを言った場合には、その人の気持ちや考え方を尊重し、受け入れてください。しかし、こちらからこのような発言をしてはいけません。

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養成講座後半については、受講以降、またレポートしたい。

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2011/8/30「ソーシャルメディアがファンドレイジングを変える」by ETIC

ゲスト1:イケダハヤト氏(著書に『フェイスブック』、Blog:ソーシャルウェブが拓く未来

ゲスト2:ソーシャルメディアを活用しているエイズ孤児支援NGO・PLASの門田氏

1. ソーシャルメディアって      

2. 共感するメッセージの作り方    

3. 具体的なツールの活用法    

4. ソーシャルメディアと寄付

1.    ソーシャルメディアって?

コミュニケーションツール。公園のようにそれぞれが各々の活動をしている空間。ソーシャルメディアでのスターは企業より個人User。そこにプレスリリースなんか流しても無視される。Facebookで企業の情報は欲しくないし見たくない。

NPOが「公園」でアテンションを獲得する3つの工夫

①      個人アカウントを立たせる。企業やNPO(団体)のアカウントでは読まれない。

②     顔のない「公式」アカウントは読まれにくい。団体の●●(個人)としてTwitterやFBを活用。必要に応じてその団体の、投稿に関する簡単なガイドラインを作る。

③     公式アカウントから、キャンペーンを打つ

例1)1tweet, 1 SMILE 【目的】エイズ孤児の課題認知、NGO・PLASの団体認知  【目標】6000の♯May7付きツイートを一週間で発生させる。5/7は国連が定めた世界エイズ孤児デー。【結果】1050人が参加延べ600万リーチ。企業なら300万円くらいかけて達成できる行為。【仕掛け】インフルエンザ(ソーシャルメディアの一概念で、影響力のある人の意味。数千人~一万人のFollowerがいる)を特定して、キャンペーンの企画に参加してもらった。NGO・PLASの代表 門田氏がつぶやく→インフルエンザがRT→拡散。インフルエンザとの連携なしに成功しなかっただろう。

例2)#Pasokokenのハッシュタグ1回発生毎に5円寄付(かものはしプロジェクト)

例3)伊藤ハム Facebookアカウント設定から6か月間位で12,000人のファンがいる。「ハム係長」というキャラクターの設定があるからこそ、公園でチャットしている人達の中で注目される。また伊藤ハム社員の担当者の人が張り付きでレスするようにして、ファンをKeepしている。

2共感するメッセージの作り方

「自己紹介してください。」と言った時にどんなメッセージを出してくるかで共感できるメッセージを出せる人かどうかが分かる。Whyを語る」ことが重要

その人のことをもっと知りたいと思うのは、その人の価値観がみえるとき。

「大きな絵をかく」‐King牧師のように、その当時は誰も実現するとは思っていなかったようなVisionの下に人が集まる。「旗を立てれば人が集まる」‐自身のブログの題を「NPOにマーケティングの力を」に変えた瞬間にPanasonic(CSRとしてNPOにマーケティング支援をしていた)がコンタクトしてきた。Social Conference:一介のサラリーマンが日本のStart-upと呼ばれる起業家にスポットライトを当てたいという夢をFacebook上で語った。結果的に1000名が参加するイベントに。

◆まとめ◆

なぜ今の仕事をやるようになったのか

どんな世界を作りたいのか

共感を呼ぶのはWhatでなくWhy

大きな絵を描き、物語に巻き込む

3.具体的なツールの活用法

■ツイッター

このツイート自分なら読むかな?と思ってほしい/集まってくれているファン、フォロワーに役に立つ情報を流す/個人での利用を奨励(組織でも個人にAuthorityを与える)/代表は「思い」を発言する /役立つ情報もシェア。お手本例:hiroki_komazaki,rui_plas

■Facebook

名刺交換後、友達になっておくとその時には分からなかった一面なども見れる/団体としてのページも活用/イベント機能で集客/Mailing List (ML)からFB のグループへ(Facebook groupで情報共有する)MLだと反応している人が分からない

■mixi

多分明日(2011/8/31)ページ機能が付き、FBと同じになる。FBとは利用者層が違地方の人、主婦、学生などを集めるときに有効

ファンドレイジングに絡めた(ソーシャルメディア)ツール

Isave  ツイート募金+宣伝+DRM (done r** management)

Just giving Japan 数百万円集める

Readyfor

Crowdrise

実は、ソーシャルメディアを介した寄付はそんなに期待できない。ソーシャルメディアは潜在的なDonors(これから寄付する人)に効く。定期的な寄付者のレベルに登ってもらうのは難しい。FBは集客に非常に向いているが、オンラインだけでは寄付は集まらない。オンラインで顔を見ないでお金を出すというのはハードルが高い。募金はオフラインで集める方がいいかもしれない。「オンライン→オフライン→オンライン」というループを作りだす。寄付してくれるのは結局「知り合い」。「縁」を太くしていく。

まとめ

1. ソーシャルメディアは公園。工夫しないと聞いてもらえない

2. 共感を生むにはWhyを 

3. 新しいツールにもアンテナを

4. オンライン→オフラインの流れ 月間でイベントをするなど

Q. 膨大なつぶやきや投稿をどう管理しているか

A. Hootsuite  http://hootsuite.com/ などを利用。FBの場合、グループは重要な情報が流れてくるので見ているが、ウォールはみていない。ツイッターは、カテゴリーごとのリストで管理している。自分が見るのはニュース配信。

Q. ツイッターでフォロワーを増やすのが凄く時間がかかると思うがどのようにフォロー/フォロワーを増やしているか。

A. Twpro  http://twpro.jp/ プロフィールを検索し、Followerの多い人ごとに提示される。ここからフォローしたい人を決める。

Note: 1時間で退出しなければならなかったのでイケダハヤト氏の講演のみ記録

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2011年8月12日 東大 最先端科学技術センター所長 児玉龍彦 教授 講演 福島原発事故に対する緊急提案

http://www.ustream.tv/recorded/16590303

1時間17分と長いが、質疑応答まで含めてかなりお勧め​。国会での発言と南相馬市長との共同記者会見を踏まえた上での更なる提言で、法律についてもかなり詳しく言及されている。私が非常に共感するのは具体的な提言内容もさることなが​ら、彼の、当事者に対するスタンス。私には、子どもを疎開させろとか、住民を丸ごと避難させろとか、●●​に抗議しようとか、外野が言うのが凄く引っかかる。そ​ういう人は本当には被災者に共感していない。自分の意見を被災者​を通して主張しているだけ。私の様に、転勤族の子で根なし草​みたいなのには何でもないかもしれないが、土地に根付いた人々​の、郷里に対する想いはそんな簡単なことではない。ただ、避難した​人、避難したい人、留まっている人、戻ってきたい人、全部その家​族の、個人の選択として尊重されるべきだと思う(20km圏​内は未だに線量の高低にかかわらず選択肢さえ与えられていないわ​けだが)。勿論、各々の選択に対するバックアップシステムは必要(←ここ重要)。特に母子だけで避難してきているケースや要介護者がいるケース。

私は、地元の人が、何でも行政が決めてくれると思っていたり、避難についての決定をして対立感情を持ったりするのは、正直、成熟度が不足していると感じている。問題の責任が自分にないからって、自分の人生上の決定を行政がしてくれるなんてことはない。

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2011年8月3日 エネシフ 第11回勉強会

プログラム:

1.被災地に再生可能エネルギーを届ける 桜井 薫氏(「つながり•ぬくもりプロジェクト」)

2.警戒区域内の家畜の状況 高邑 勉氏(衆議院議員)

3.講演 桜井 勝延氏(南相馬市市長)

4.その他

5.再生可能エネルギー促進法案審議状況について 

 

被災地に再生可能エネルギーを届ける  桜井 薫氏 (「つながり•ぬくもりプロジェクト」)

多くの方々が過酷な避難生活を余儀なくされており、電気やガスのライフラインが不十分なままの避難所が少なくない。当プロジェクトでは、「太陽光発電システム」「太陽熱温水器」「薪かまど・ボイラー」を避難所などに設置して、被災された方に電気、お湯、お風呂を提供している。

元々、NGO「ソーラネット」で、手作り太陽電池を世界中の人に共有してもらう活動をしていた。最初の活動地(陸前高田)の最初の避難所では導入を断られ、部外者が落下傘部隊のような形で支援するのでなく、地元の方々にかかわってもらわないと広まらないと感じた。復興には(被災者が)「自分たちで暮らしを作る」ことが重要。ハンドメイドの太陽電池(3枚のパネル)を外に設置するだけで、電気のないところに電気をもたらす。

NGO「ソーラネット」は現場で動き、ISEPを口説いて資金集めをしてもらうプロジェクトを発足(文責者追記:HPによると、2011年8月3日現在、寄付件数と金額は467件 32,32,049,745円!! 32億円って凄いな)

自然エネルギーの普及には草の根の「村の電気屋さん」の様な存在が不可欠である。大船渡市の青年(被災者)は、電気については全くの素人だったが、震災後、この活動を通して勉強し、今では中心人物である。福島の青年(避難者)はもともと電気の知識があり、彼の「雇用」を確保するためにも中心になってやってもらっていた。彼には小さい子どもがいるため、今は北海道に移住。福島の彼が住んでいたところは、子どもが裸で川遊びをする天国みたいなところだった。それがあの一日で変わってしまった。

プロジェクトの支援対象は避難所であったが、今は保育園にも設置。将来的には仮設住宅にも設置したい。こういう大災害が二度とあってほしくないが、これからの仮設住宅には太陽光発電や温水器が標準装備になるといいと思っている。

種類

太陽光発電 55Kw

太陽熱温水器(200~250L)

バイオマス

実績

70件

19件

4件

予定

30件

11件

 

 (地元に入っていくときに、役所との関係などで苦労しないか?の質問に対して)公共の場所には設置しないので、あまりごたごたはない。疑問に思うこととして、陸前高田は町の復興プランがなく何も復旧していないのに電柱だけが建っている。復興計画ができてから電柱ができてもいいのではないかと思った、とのこと。

警戒区域内の家畜の状況  高邑 勉氏(衆議院議員)

現在の警戒区域内の家畜数:【牛】3500頭→2000頭以下であろう     【豚】3万頭→全滅(26頭の種豚等のみ東大研究所に)【鶏】64万羽→全滅

原発から12KmのM牧場(線量毎時10μ㏜強)にて肉牛の放牧を実施している。近くの牧場から逃げてきたのか、ホルスタインも紛れている。原発から近いため、電気が復旧していない。そこで「つながり•ぬくもりプロジェクト」桜井 薫氏の協力の下、M牧場主の吉沢さん宅(新築で被災、避難となった)に太陽光パネル(800W)を設置して地下20mから水をくみ上げられるようになった。水が出るようになると、今までは放牧しかできない(水は雨水でまかなう)のに対して、牛舎で飼育できるようになる。そうなると、牛舎で飼った場合の、除染の研究(プルシアンブルーなどの薬物投与や水による除染)が可能となる。

まずは肉牛の受け入れ先を探したが、引き取り先が風評被害を受ける等の危惧もあり実現しなかった。ならば、地域から出さないで飼ってみようということでサンクチュアリ牧場構想となった。年間100mSvくらい被曝する動物の研究に際しては、6000頭くらいが必要であり、現状の数に比してまだまだ足りない。家畜は、死んでしまえば放射性廃棄物になる。行政のこれまでの方法であった、石灰をまいて外に放置する方法であると、死骸に放射性物質が降り積もっていく(生きている間は、外部被曝は低く、生理機能によって放射性物質が通過していく=汚染が低く保たれるのに対して、外に放置された死骸には積もるばかりである)。また、石灰を被った死体が、何頭も、むき出して放置された状態(放置しなければいけない状態)を見てしまっては、当の畜産農家は立ち直れない。これまでの行政への働き掛けにより、最近は中間処理として死骸を埋めることが可能になった。これまでは、風評被害を抑えたいために、全部殺してしまえば外部に出ないという発想だったが、殺処分すると最終処理の問題が出てくる。生かして除染していく道を探るべきである。

桜井 勝延氏(南相馬市市長)

震災後、一か月間も現場から逃げていたマスメディアは、牛肉からセシウムが出てきたということで、農家を叩いた。そんなことをされる筋合いはない、これが農家の気持ちだ。南相馬市で独立メディアを持たなければならないということを言ってきた。「真実」は権力者側で作られる。被災者は職業を失い、家族を失っている。地下水を飲めと言われたり、枇杷を食えと言われたり、どうしてこんな目に遭わなければならないのか(文責者追記:市民に対する説明会や懇談会(当然ながら放射線量がらみ、補償金がらみの質問が多い)で、市政側が、飲料水や農作物の安全性について、市民から突き上げを食らっている。3.11以降の怒りの矛先は、身近な行政に向きやすい)。原発事故直後にマスコミが現場から逃げたのは、自分たちの身を守るためだったのか、(そうでなくて)東電から多額のスポンサー料をもらっているからなのではないのかと疑ってしまうほどだ。なぜ肉牛問題が南相馬市から発生して、全国に流布してしまったのか。今、国力をあげてすべきは、命を守ることと、心を立ち直らせることなのに、政治はなぜ政局に走るのか理解できない。7/23-25に行われた相馬野馬追祭は、例年の1/6くらいの規模であったのに、最終日の上げ馬祭(本来は警戒区域内の小高神社にて執り行われる神事で、野馬懸(のまかけ)という)に、昨年参加した警戒区域内の騎士の多くが揃った。自分たちの誇りを失ってはいけない、もう一度ここから立ち直ってみせるという心意気に励まされた。  被災後、90日目にようやく自分の畜舎に入らせてもらった酪農家の女性が、牛に蛆が湧き、死体が転がっている状況を見て、一生分の涙を流したと言っていた。「だけど、お父さん、もう一度やり直そう」と言っていた。例えば一家7名の中で6名が津波で死亡して、一人お父さんが残されている。こういうような状況下でさらに原発事故被害を受けた被災者に対して、単におカネで補償していこうとするのがどれだけ人を傷つけるのか、広島・長崎などもそうだが、おカネをばらまけば補償だと思っている。生活をいかにして支えるのか、除染をいかに速やかに実施し、生活に支障のないレベルまで持って行くか。こういうことを、国をあげて即刻行うことが重要だ。

文責者:その後、共感しているツェーザル・フライシュレンの祈り「心に太陽を持て」を紹介しながら、桜井市長は涙を流していた。

心に太陽を持て / あらしが吹こうが、雪がふろうが、 / 天には雲、  /              地には争いが絶えなかろうが!

心に太陽を持て / そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか! / どんな暗い日だって  /      それが明るくしてくれる! 

くちびるに歌を持て  / ほがらかな調子で。  / 毎日の苦労に  / よし心配が絶えなくとも!

くちびるに歌を持て  / そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!  / どんなさびしい日だってそれが元気にしてくれる!

他人のためにも、ことばを持て  / なやみ、苦しんでいる他人のためにも。  /          そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、  / それをこう話してやるのだ!

くちびるに歌を持て  / 勇気を失うな。  / 心に太陽を持て   

そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう!

山本有三 : 編 : 『心に太陽を持て』 : 初版本 

その他、丸森 あや氏(こども福島ネット世話人)が会場におられ、自身の活動紹介があった。7月17日に食品の放射線測定の団体「市民放射能測定所」(福島市新町=理事長・丸森あや氏)を正式オープンした。海側より線量の高い、内陸の福島市にもWBC (Whole Body Counter) が置けるようになった。これらの装置を新しい電気(自然エネルギー)で動かしていきたい。母と子の健康&行動記録:生活手帳 を普及。何を食べたかなどを記録していく取り組み。

 

再生可能エネルギー促進法案審議状況について  は、基本省略で (* *;) 

昨日の社民党 阿部知子氏によれば、固定価格買取制度実現(国会での成立)の可能性は1/3くらいに減ってきているとのこと。再生可能エネルギー促進法案の論点については、この記事も参考になるだろう

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